寒い日の夜は、膝関節が成長期。

MacminiとiPadminiでゴニョゴニョしてます

嘘をつく人、人を疑う人

社会人になってから、
先輩男性社員たちの"相手が嘘をついているのでは"と、人の言葉を疑う
人の多さに驚いたのを覚えています。

私が新卒で入社したのは電気業界の開発部で、
女性社員の割合は、業界内でも2,3%と言われている男性社会でした。
女性と話したこともない男性もいたくらいです。

最近、マツコさんが男女平等について語ったように、
男性社会が理解できずに順応できない私にとっては生きづらい社会です。

マツコは今の男女平等について、
「男の世界に合わせられる女の人じゃないと平等にならない」と訴え、
安倍政権で登用された女性閣僚についても「スカートはいてても中身は男でしょ」と一喝。
「女性が男性に合わせることなくいられることが本当の男女平等」

男性社会にあわせられないバカな女の小言です。

派閥が理解できなく、へつらうこともせず、
人の上に立つことを恥じらい、
結局はじかれて職を失ったこともあります。

いまでも、何事も正直に話している私は、ほんと生きづらいです。

正直いうと、仕事のみに心を向かせたいです。

新卒で入った会社では、同僚を仲間と思い、
ランチも一緒、残業も、土日も一緒に楽しくしていましたが、
人ありきでは結局好き嫌いが出てきてしまうため、
仲間に入れない人を弾く傾向があるので会社としてはそぐわないあり方だとわかったからです。

それはさておき。


最近「人は嘘をつくものだから、話は疑うもの」と堂々という人に出会いました。
その人は思い込みが激しく、思い込んだことを人に吹聴し、ターゲットにした人を追い込みます。

学生の頃から、そういった人はいました。
本人は人の心を乱す悪いことをしている意識はなく、
同類の人と集まり、そういう会話を楽しんでいます。

普段から嘘をつかない人間・人を嘘をつくものだと思っていない人間にとっては、
汚れた人間に見えてしまい近づきたくない気持ちになります。


最近読んだ小説『蜩ノ記』にこんな文がありました。

蜩ノ記 (祥伝社文庫)

蜩ノ記 (祥伝社文庫)

疑いは、疑う心があって生じるものだ。
弁明しても心を変えることはできぬ。
心を変えることができるのは、心をもってだけだ。

私もそう思います。
嘘をつく人に吹聴されていても弁明せずにきました。

同僚からは「ちゃんと愚痴った方が良い」
「嫌なことされたら、ちゃんと言っていった方がいいよ」と言われます。
分かっている人にはわかるんですよね。

吹聴する(嘘をいいふらす)人の言い訳には
「否定しないんだから、(私が予想したことは)あってるんだよ。もし違っていれば言ってくるはず。」と。

気の毒な人です。


が、実際、会社という組織の中では“必要悪”なのもわかってはいます。
悪口や噂話は、人と仲良くなるための手段でもあります。

それに、悪口を言わないと
「面白みのない人」
「本音を言わない人」と「不気味な人」と思われてしまうのも感じています。

管理職が平社員とのお酒の席で、
その場にいない中間管理職の人の悪口を言うと、
その場では盛り上がり団結力を生みます。

私としては「卑怯だな」と感じてしまいます。

しかし、会社としては、こういった(吹聴する)人がいると危機管理が高くなる傾向があるため
排除はしないんですよね。

良い点もわかってはいますが、なかなか心の整理がつきません。