三十路直前のゲイ友と、よく当たる噂の高円寺で恋愛を占ってもらったことがあります。
「普通に生活していれば、ちゃんと結婚してるはずなのにねー。」と言われた友人。
(ノンケの道を選んでいたら)そうだよなー。と私は思いましだか、ゲイ友は『ゲイだと当てなかった。あの人は偽物だ。』と言い憤慨していました。
占いって、ズバっと一言一句あたるものなのでしょうか。。。
駅で見かける易者も、テレビで見かける占いの人たちも、答えそのものより相手に伝える力で当たる・当たらないが決まるきがします。
そして、占いは統計学であるという話は有名ですが、ゲイ友のように自然の流れ(運命)に逆らったような決断(自分の力で運命を変えたの)であれば、占いの結果も変わってくるんじゃないかな。とも感じています。
なので、そこで『「自分はゲイです。」と言わないかぎりちゃんと占えていないのでは・・・』と伝えましたが頑固に”占いとはこういうものだ”と考えを曲げませんでした。
そこでWikipediaで本来の易学(易経)とは何なのかを読み取ってみたいと思います。
誤っていることも書かれていることもありますが、そこはみなさんのリテラシーでカバーしてください。
当たるも八卦当たらぬも八卦とは、占いは当たることもあれば当たらないこともあるということ。
当たるも八卦、当たらぬも八卦 – 故事ことわざ辞典
ごもっともです。
易とは
易経とは、古代中国の占筮(細い竹を使用する占い)の書である。
符号を用いて状態の変遷、変化の予測を体系化した古典。
中心思想は、陰陽二つの元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説く。
著者は伏羲とされている。
易経 – Wikipedia
ポイントは「状態の変遷、変化の予測を体系化した古典」と「森羅万象の変化法則を説く」かな。
字の由来
有名なものに「易」という字が蜥蜴に由来するという ”蜥蜴説” があり、蜥蜴が肌の色を変化させることに由来するという。
「易」の字が「日」と「月」から構成されるとする ”日月説” があり、太陽と太陰(月)で陰陽を代表させているとする説
易経 – Wikipedia
・日月説…世の中には陰と陽があって、それらが1つになって成されている考え方
・蜥蜴説…ここでいうトカゲとはカメレオンであり、肌の色を変化させる=>変化するのが易であるという考え
ポイントは「陰陽を象るもの」「易は変化するものである」かな。
伝統的な儒教の考えでは、「易は一名にして三義を含む」という「変易」「不易」「簡易」(かわる、かわらぬ、たやすい)の ”三易説” を採っている。
易経 – Wikipedia
・変易…天地は常に移り変わって極まりない
・不易…変化の中にあっても変わらない法則がある
・簡易…陰陽の組み合わせだけで森羅万象を表すからやさしいものである
ポイントは「天地は常に移り変わって極まりない」「変化の中にあっても変わらない法則がある」「陰陽の組み合わせで森羅万象を表す」かな。
まとめると
『当たるも八卦当たらぬも八卦』とは、「占いは当たることもあれば、当たらないこともある適当なもの。オカルトなものだよ。ぶっちゃけ良いことだけ信じれば良いんじゃない?」という意味ではなく。
森羅万象は常に変化するものであるから、占いたい時点・いま占った時点の結果が見えるにすぎない。なので、当たることもあれば当たらないと感じることもある。という意味なんですね。
あ。あ。。語彙が乏しい。
補足しますと
自分の決断は、視覚や聴覚、偶然出会った本によって心が変化し、それによって自分の言動が変わり運命も変わったりします。
その変わった自分は、他人に与える影響も変わり、人の運命にも影響をあたえます。
その変化も占いに含まれるのでは(つまり運命とは不変なのでは)・・・と思っていた時期もありましたが、自分自身も常に変化し続けるものですから、自分の決断や言動を”点”とするなら、点を打ち続けるのは本人で、占いは”点と点を結んだ線”の延長線をはかるもの。ではないかという話なのかしらね。
具体的に言うと、運命の人はこの人です。と現れた結果をスルーして過ごせば、その運命の人は別の人と結婚してしまいます。
そして、その運命の人とは、同一人物ではない。占いでは本人がパートナーを求める波を見ているにすぎないので同一人物とはかぎらないと感じます。
なので、婚期が24歳,30歳,35歳といくつも言われるのでは。
「運命の人」で思い起こすこと
古代ギリシャの哲学者プラトンの『饗宴』にて
「神様は二つに割って、今でも我々は片割れ を探し続けている」
とロマンチックな響きを信じ、こういった哲学と易学を目に見えない不思議なものの枠組みの中で、ごっちゃにしちゃう人もいますが分けて考えましょう。
わけわからなくなります。
続きまして
まとめ
ちゃんと占ってもらうには、ある程度自分の現状を素直に話した方が良さそうですね。
この人は当たるか、当たらないかといった当て物としての遊びではなく、カウンセラーと話す気持ちで臨むと良いかもしれません。