教学

こころの時代 – 日本庭園の伝えるもの – (文字起こし03)

つづきのつづき
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(解説者)
 このごろ、石をおいて、白い砂をしいて、これが枯山水だという人がいますが
 いまのお話を伺っていると、どうも違うようですね。

枯山水は、いちばん優しいようで、いちばん難しい
わかってくれば、わかってくるほど、難しく、
手がつけられないものなんですね。

特に枯山水は「余白」を大事にします。

私達も、言葉でもっても伝えきれないものがあります。
それから、絵を持っても伝えきれない表現もあります。
空間も同じなんですね。

そうすると
言葉の場合には、沈黙をして動きをつける。「間」ですね。
空間の場合は、そこに「余白」をつくるんですね。
そこに、いちばん伝えたいことを込めていくんですね。

(解説者)
 確かに人間が考えているから、その通りになるんじゃなくて
 思いというものは、後から勝手にポコポコ湧いてくるものですね。
 事実は、その先に、どんどん展開していって
 昔の言葉ですけれど「諸行無常」常に変化するのは、
 私達が生きている現実の姿なんでしょうね。

実であり、大宇宙の心理なんですね。

(解説者)
 そこのところも、庭の姿も人間が勝手に作ったものではなくて
 自然の、生きている命の働きを凝縮したものを「庭園」という表現をなさると。

そういうことですね。

(解説者)
 じゃあ。道場で座禅なさるのと、
 現実の世界で庭造りするのは別々のものではないんですね。

ないんです。
例えばですね。
庭で有名な禅僧の夢窓国師が「山水に得失なし 得失は人の心にあり」とおっしゃってます。
得失とは、得することも、損することも、山水を扱うことになにもないんですよ。
「扱う人の心の持ち方にあるんだ。」と。
山水と仏道を修行することに別だと考えてはいけない。
それが同じと思いやらせていただくことが、真の仏道者だと。
夢窓国師おっしゃってるんです。

まさにその通りなんです。