教学

こころの時代 – 日本庭園の伝えるもの – (文字起こし04)

つづき
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(解説者)
 自分は自分で生きているんだと、
 自然は勝手に巡っているんだと、思いがちですが
 空気や水も、単体でいるようですが、それがなくなるとこちらも死んでしまいます。
 まさに一体になっているんだな。と私は気がついたことがありました。

そうですね。
私たちは、すべての関係性の中で生きているんですね。
一人で生きていくということはできない。

例えば、
私達がいただく食事にしても、
お米で言えば、種を撒いて、草取りをして、刈って収穫をして、
最後に調理をしてくれる人がいてクチに入ってくる。

私達の体を考えても
心臓でも、腸でも、肺でも、私達が止めようと思っても止められないんですね。
自分の体だと思っているこの体ですら、自分の意思で自由にならない。

じゃあ。誰が動かしているのか。というと、、
少なくとも自分では止められないから自分ではない。

すると、どう考えるかというと、仏教では仏の力とかいいますが、
現代的に言うならば、大宇宙の心理だと。宇宙の力だと。
ですから、私たちはそういう力の中で生かさせていただいている。

ということを考えると、
私達すべてが関係性の中で生きて暮らしていることができている。とわかるんですね。

自分一人では暮らして生きていけないんだと。
仏教では「諸法無我(しょほうむが)」というんですね。
すべてのものは私一人では成り立たないんだと。
仏教の大きな柱です。

(解説者)
 「無我」というと自分がないと文字通り読んでしまいますが、
 そうではなくて。
 「我(が)」という固定したものはなくて、常に流動している
 その中で生かされている。という自覚のことを表現なさっているんでしょうね。

わたしたちが庭をみて、
或いは、庭の中に静かに散策をしているときに
「あ。この中に生かされていることが幸せなんだ。ありがたいな。」ということを思えたら、
もうそれで十分だと思います。

(解説者)
 自然と自分の関係性がわかったら、自分はどういう生き方をしていこうかという気がついてくることですね。

そうですね。
庭はそういうことに気づく場所であったり、本来の自分に立ち戻る場所であったり、
或いは今の生き方はこうで良いのかと自分自身を見つめる場であってほしいな。と思っています。